おはようございます、MAYAです。
私は40代半ばですが、気持ちはどこか30代。若作りしているとか、大人になれていない(そうなのかもしれませんが)とかではなく、自分の精神年齢と実年齢に乖離(かいり)がある。
子供の頃想像していた40代は、落ち着いており感情に任せて怒ったりしない、こんなイメージでしたが、どうも違う。
40代はこんなはずではないけど、子供の頃想像していた30代位の精神年齢はクリアできていると思う。
この差が10歳ほど。30代の頃は20代の精神年齢でしたし。
これは歳を重ねても追いつけないどころか、親を見ていると、どんどん差が開いていくのではないか。
そんな気しかしない。
親は70代後半ですが、どことなく50-60代の感覚でいる。70代と認識はしているけど、60代位の頃に動けた感じで、今も動けると考えてしまう。
これも無意識に認識している年齢の乖離が原因?
日々こんなことを考えながら暮らしている私ですが、とある人をテレビで見て「あ、私も40代の中年だ」と認識。
その方は、安藤政信さん、45歳。
なぜ安藤政信さんなのか
安藤さんも40代半ば。
私の中では10代のイメージが強い(キッズリターン、聖者の行進など)。その後、あまりお見かけする機会がなく(私が見ていないだけなのですが)約20年ぶりに現在放送中のドラマ「理想のオトコ」で拝見。
その時の衝撃といったら。
あの安藤さんがこんな(見た目良い)中年に。そりゃ、私も中年になる訳だ。
精神年齢と実年齢の乖離なんて言ってましたが、40代半ばという年齢をガツンと認識。これが、10代からコンスタントに目にしているSMAPやTOKIOとかではだめなのです。
歳を徐々に重ねていくのを見ているので、気づきにくい。
毎日見ている家族の変化は感じにくいのと同じ。でも安藤さんは、20年ぶりに顔を合わせた遠縁の美少年の親類みたいな感じ。え、あの美少年がこんな美中年に!?みたいな。
年齢認識スイッチ
私は独身で子供もいないので推論でしかありませんが、子供がいると、子供を通して自分の加齢を感じやすいのかもしれませんが、私にはそれがない。
同窓会で同級生に会ったら変わっててびっくり、みたいなこと。友達が少ないですし同窓会は行かないので、そういう機会もない。
そうすると自分で自分の年齢を意識するしかないのですが、先述したように精神年齢と実年齢の乖離があるので、ズレがち。
それを強制的にグッと認識させてくれるのが、お久しぶり拝見するテレビの向こうの方々。今回、それがたまたま安藤さんだったという話。
この記事を書くにあたりWikipediaで安藤さんを調べたところ、コンスタントに沢山出演されていました。
決して安藤さんが出ていなかった訳ではなく、私が目にしていなかっただということを記します。
ちなみに6月公開の「るろうに剣心 最終章 The Beginnig」に高杉晋作役で出演されるよう。
中年という言葉がしっくり
最近、中年という言葉が好きです。
あまりいい意味で使われないことも多いですが、最近自分の年齢を表すのに非常にしっくりくる。
アラサー、アラフォーなんて言葉がなかった頃は、ひとくくりで中年と呼んでいた。あとは「おじさん・おばさん」でオバタリアンなんて言葉も昔はあった。
改めて中年というのはどの世代を言うのだろうと調べたら、とてもしっくりくる記事があったので抜粋。
中年期は、40歳から64歳の25年間をいい、身体的、社会的、家庭的、心理的に変化の多い時期です。また、安定と不安定、若さと老い、獲得と喪失が共存する時期であり、今まで積み重ねてきたものを問い直し、時には人生の危機に直面する時期でもあります。
これまで中年期とは、老いと死に向かって衰えていく時期という否定的なニュアンスでとらえられてきました。しかし、人生80年となった現代では、人生は一つの山ではなく、青年期から中年期の第1の山と中年期から老年期の第2の山があり、中年期は第1の山の尾根であると同時に、第2の山の出発点でもあります。これからは中年期を、新たな価値観にそって自分自身を作り上げていく充実の年代ととらえたいものです。
京都府精神保健福祉総合センター HPより
自虐的な意味ではなく、プラスな意味で中年という言葉を使っていきたいなと思わせてくれるこの記事。
そして人生80年時代どころか100歳時代。
本日もお読みいただき有難うございました。
あっという間にGWの半ば。
今日は気合を入れてバルサン焚きます。ドラマの安藤さん、素敵な中年男性です(褒めています)
↓GWにやりたい事や独身人生色々考えること