フラミンゴの庭 MAYAです。
私は東京・丸の内・銀座エリアが昔から好きで「このエリアでは働かない」と決めていました。派遣の仕事を探している時も、このエリアでどんないい仕事があっても対象外。好きな街で働かない理由。
非日常を楽しみたい街に、日常を持ち込みたくないから。
ところが、不可抗力で丸の内で働くことになって数年。この街をどう感じるようになったか。予想通り、日常になってしまいました。
非日常を求めていた街で働くとこうなる
私は東京・丸の内・銀座エリアに非日常を求めていました。お出かけして、買い物したり食事したり観劇したり。このエリアに出かけること自体が楽しみでウキウキしていた。働き始めて数年。ウキウキはなく、あくまで仕事エリアの一角。
もちろん、好きなお店にすぐに立ち寄れることや、働いているからこそ頻繁に食べることができるランチグルメなど、いいこともあります。
でも、もう、キラキラしないんです。
劇場にキラキラした顔で向かう人たち。あの感じは、もう私には戻ってこなさそう。
住む、遊ぶ、働く場所
この3箇所は、干渉し合わない程度の距離を取りたい。三権分立(立法・行政・司法)の私版。
理由はそれぞれで付き合う人を変えたいから。逆の言い方をすると、それぞれで自分の出し方を変えたいから。
誰しも、自然とそれぞれの環境で自分の出し方を変えていたりしますよね。二重人格とかいうことではなくて、それぞれのコミュニティでの自分の立ち位置が違うので自然なこと。
嫁の自分。BTSファン仲間と会っている時の自分。それが同じ訳がない。
- 地元でラフな服装でフードコート
- 趣味の友達とちょっとお洒落して観劇
- 年齢も出身地もバラバラな仲間と仕事
想像してください。BTSのライブに向かおうと、ファン仲間と盛り上がって歩いていたら、近くの職場の同僚に声かけられた。
こんなのテンション下がりまくりでしかない。
こういうのを避けたいのです。そう考えるとタレントさんて本当にすごい。パブリックイメージを守ることにどれだけ心身ともに費やしているのだろう。ちょっとでもイメージと違えば「裏の顔」とか言われてしまうし。裏の顔でなくて、それもその人の顔。
物理的距離は人間関係を解決するのに有効
私なりの三権分立に手を出したのは、中学生の時。地元が得意ではなく、親の関係性で全てが決まる不毛な人間関係から離れたかった。公立高校ですので中学までは選択の余地なし。でも高校は違う。公立でも、自分で選べる。
私は自分の進路を踏まえ(就職に有利な高校)自分の中学から誰も行かなそうな、遠い学校を選びました。結果、その高校に進学したのは私のみ。
そこでは、私はどこの家の子供で、誰とこれまで一緒にいたかなんて関係ない。
私は私。これ以上でもこれ以下でもない。あとは自分の出し方を変えて、ここで心地よい自分を出していけばいいだけ。本当に高校は楽しかったです。やっと深呼吸できた感じ。
今の若者はSNSが発達しすぎて、私の頃のように簡単にリセットできないのかもしれませんが、それでも物理的距離をとってしまうのは有効。
【ebookjapanで試し読み】凪のお暇(8)/コナリミサト
黒木華さんでドラマ化された所より、さらに進んだ内容。人の心の切り取り方が本当に見事すぎるコナリさん。物理的距離の話が後半出てきます。
人との距離感もそうですね。近づきすぎることで絡まってしまうことが多いので、そういう時はちょっとだけ距離をとって、程よい距離を探る。
この前、初めてモスバーガーのチキンナゲットを食べたのですが、美味しくてびっくり。ちょっと高いけど値段だけの事はある。ずっとその存在を知っていたのに手を伸ばさなかった、モスのチキンナゲット。もも肉よりムネ肉好きの私にはドストライク。「うま!」と思わず声が出そうに。しばらくハマりそうです。
できれば揚げたてをすぐにどうぞ。
まだ40代半ばですので先輩たちからしたら若輩者ですが、若者に言いたい。今、100%の感度で受信していることは年を重ねるごとにどんどん感度が悪くなる(良くも悪くも自分基準)。年を重ねたらSNSの反応とか気にしなくていいし、もっと気楽になれる。若いほど感度が高いから色々キツいけれど、年を重ねたら楽になるから、必要以上に年を重ねることを悲観的にならずに。
人は生まれた瞬間から死に向かって生きていくのですから。